![]() 明治初期(1870年代)
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![]() 蝦夷地の風土と歴史に育てられた秘伝の味 当家の祖先は慶長年間(1596年~1615年)に江差の地に渡り住んだと伝えられています。その後、ヒノキの伐り出しのために来た南部藩の杣人(そまびと)・五花手組(ごかってくみ)が豆を栽培してみたところ、蝦夷地で初めて実らせることができたので、近隣の村人ともども大いに喜んだといいます。この豆をもとに菓子を作り藩公に献上したところ大変喜ばれ、また、これを記念して屋号を五花手屋としました。その後、この杣人たちが住みつき五勝手屋村と呼ばれるようになり、やがて屋号も五勝手屋と変わります。本格的な菓子の販売は明治3年(1870年)。北海道でとれた豆と、北前船で運ばれた寒天砂糖を使用して作られました。基本的な製法は現在も変わらず和菓子職人に代々と受け継がれています。 昭和11年(1936年)には天皇が函館に行幸した際のお土産として献上され、以来、北海道が誇る銘菓として多くの方に愛されてきました。 ![]() |