連載:一月一話

第13回 2023年5月

【群来】に思う。

かつて “江差の五月は江戸にもない”と謳われるほど、まちに繁栄をもたらしたニシン漁。それは、江差町で暮らす誰もが知っているまちの歴史ですが、そうした言葉が生まれるほどニシンが獲れていた時代は今となってはあまりに遠く、私たちの日常の中でニシンの話題が登場することはありません。
それでもふいに、数年、あるいは数十年に一度、ニシンの大群が江差沿岸へ押し寄せることがあって、私が30代の頃、当時起きたその現象を伝える報道から、初めて【群来】という言葉を知りました。

【群来】は【くき】と読みます。季節を謳う和菓子の世界において、お菓子に冠する“季語探し”は欠かすことができません。そうして日頃、頭のどこかで言葉を探している私にとって【群来】という言葉は、その響きを耳にした瞬間から強く惹かれるものがありました。どこか凛として、文字も響きも美しい。以来、五勝手屋においての群来は、5月限定の最中や上生菓子で登場するようになります。

“江差の五月は江戸にもない”の言葉にあやかり、毎年5月につくるニシンの最中「群来」。ちなみにニシンは「春告魚」と呼ばれるほか、春の不安定な天候のもとに訪れることから「鰊曇り(にしんぐもり)」「鰊空(にしんぞら)」といった季語も持っています。

ところで群来とは、春にニシンの大群が浅瀬に産卵し、海を乳白色に染める現象のことをいいます。現代の江差町ではめったになく、私が実際にその様子を目の当たりにしたのは、これまでに1度だけです。

ちなみに、江差町を含む檜山エリアでは、今では獲れなくなってしまったニシンの資源回復を目的に、稚魚の放流が行われています。
日常からニシンがすっかり遠のいていながらもその存在には深い親しみがあって、そして、またいつかの時代のようにニシンがまちに押し寄せることを期待して。放流事業は群来へのロマンとノスタルジーを秘めている…、と、個人的に思っています。

たとえば、江差のまちには【群来】を名に冠した素晴らしい温泉宿もあります。海が乳白色に染まる神秘的な現象とそれを表現する【群来-くき-】という言葉の響き、美しさ。まちの物語を伝える代名詞として、こんなにも愛着を感じる言葉があることが嬉しく、使うたび、目にするたび、私はいつも特別なものを感じてしまうのです。

五勝手屋の創業150年を記念した絵本【7394】は、群来にまつわる『折居伝説』を題材に制作しました。“折居姥(おりいうば)という老婆が小瓶の中の水を海にまくと、大量のニシンが現れて…”。