第48回 2026年6月

5年ほど前から、老眼鏡が欠かせません。
自覚したのは“読書”でした。集中力が続かず本が読みづらいと感じていたところ、試しに老眼鏡をかけてみたらとたんに読みやすくなって驚きました。集中力のせいではなく、老眼になってそれがどんどん進行していたんですね。
飲食店でメニューを見るときも、やっぱり老眼鏡が欠かせません。けれど一度、そのことで悲しい出来事がありました。
あるときラーメン店で老眼鏡をかけてメニューを選び、しょうゆラーメンと味玉を注文。その後、いつもの習慣で老眼鏡を外しました。そうしたら、そのせいで、私の味玉が隣の眼鏡をかけた男性に行ってしまったのです。店員さんは『眼鏡』で味玉男の特徴を掴んでいたのでしょう。そもそも味玉を頼んでいない隣の男性は、私の味玉を断ることなく受け取り、私は私で、性格上「それは私の味玉です」と権利を主張することもしない。
老眼鏡ユーザーになったことで起きた、悲しい味玉エピソードです。

今では老眼鏡が手放せない私ですが、長らく近視で眼鏡との付き合いは中学生の頃から。しかし、今思うと不思議なのが、当時剣道をやるときは眼鏡を外していたことです。
0.1ないくらいの近視でほとんど見えていないのに、なぜかどうにかそれなりに出来ていました。また、さらに不思議なことに高校ではコンタクトレンズに変え、前よりしっかり見えているはずなのに、中学時代以上には戦績が伸びなかった。見えていないほうが強かったのは、視覚以外の感覚でやっていたからなのでしょうか。
そこで心に浮かぶのは【考えるな、感じろ】という、かの有名な言葉。
剣道では、見えていたほうが「見える」ことに頼りきって動きや感覚が鈍ったのかもしれない。学生時代の自分を振り返り、そんなことを思います。

面白いのは五勝手屋のお菓子も、視覚的に見える部分、いわゆる【映え(ばえ)】へのこだわりが少なく、見た目よりも感覚的に作り上げたものが多いことです。
【回/Re-Fruit】や【夜更けて】など自分の中で手ごたえを感じるものほど、“映え”とは対極の見た目、という共通点があります。
今後も、感覚重視のお菓子がお目見えするかもしれません。そのときはどうぞ、考えずに、感じて、お菓子を召し上がっていただければと思います。